日本最古の河川敷ゴルフ場 社団法人 岡山霞橋ゴルフ倶楽部
岡山霞橋ゴルフ倶楽部の歴史は、3ホールで開場した戦前の1930年(昭和5年)から始まりました。
歴史を紐解くと、昭和4年頃、初代会長となる大橋平右衛門が高梁川河口から干潟へ向けてボールを打っていた際、その往復途中に目をつけたのが霞橋下の河川敷でした。翌昭和5年に岡山県からこの河川敷3万坪を借り受け、県下初、全国12番目のゴルフ場として3ホールの吉備ゴルフクラブが誕生。昭和6年には6ホール、昭和9年には9ホールが整備され「岡山ゴルフ倶楽部」に改称しました。
その後、昭和18年に太平洋戦争で閉鎖されましたが、三菱重工が買収して錬成道場となり、そして敗戦を迎えることになりました。しかし、敗戦のわずか1年後、多くの名門ゴルフ場が再開に手間取っているなかで昭和21年には9ホールで再開。その裏には、三菱重工が錬成道場として買収したのは実は“ゴルフ場を残すため”だったという秘話があったと言われています。
昭和28年には会員が増え過ぎて帯江コース9ホールを増設して「岡山ゴルフ倶楽部」として分離、自らは「岡山霞橋ゴルフ倶楽部」と改めて今日に至っています。
昔々、スコットランドではゴルフコースは1ホール単位で、同じホールのティとグリーンを繰り返しプレイして遊んでいました。ふと隣を見ると同じように遊んでいて、ふたつ繋いだらもっと面白くなり、3ホール、6ホールと繋いで9ホール単位になったという故事があります。
岡山霞橋ゴルフ倶楽部の歩みはその故事に似ています。3ホール、6ホール、9ホールと繋いで、社団法人となり名門へ。そして、日本最古の河川敷ゴルフ場として、中国四国地方で最も古い歴史を持つゴルフ場として、岡山ゴルフ界の発展に寄与してきました。

開場当時(昭和5年)のクラブハウスは木造3階建


戦後間もない昭和21年頃のキャディは、大半が学童だった。
一般社団法人岡山霞橋ゴルフ倶楽部 遍歴
昭和4年 4月1日 県から3万坪借り受け着工
5年 4月1日 開場 3ホール“吉備ゴルフ倶楽部”
6年 12月20日 6ホール
9年 10月1日 9ホール“岡山ゴルフ倶楽部”
18年~20年 第2次世界大戦のため閉場 三菱重工業㈱水島航空機製作所の野外錬成場となり、麦、野菜の増産
21年 三菱重工業所長・原田氏と相談の上ゴルフ場として復活9ホールで再開
23年 3月 岡山ゴルフ同好会と仮称後岡山ゴルフ振興会と改称
28年 7月 会員過剰となり帯江に9ホール新設、帯江を“岡山ゴルフ倶楽部”当倶楽部は“霞橋ゴルフ倶楽部”と改称
31年 2月13日 K.G.U(関西ゴルフ連盟)へ加入
34年 7月 “岡山霞橋ゴルフ倶楽部”と改称
35年 7月1日 社団法人として登記“社団法人岡山霞橋ゴルフ倶楽部”として新発足
38年 5月3日 ジョージ・E・クレーン氏・原田武一氏設計の新コースをオープン
45年 1月1日 関西ゴルフ連盟より中・四国ゴルフ連盟が分離
54年 10月12日 開場50周年記念行事実施(3日間)
56年 2月1日 中・四国ゴルフ連盟→中国ゴルフ連盟分離
平成 元年 10月26日 開場60周年記念行事実施(4日間)
24年 7月2日 一般社団法人として登記“一般社団法人岡山霞橋ゴルフ倶楽部”となる。